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日記

編集長の岡本です。

5月、ある疑問が生じました。


1年前の今って何を考えていたんだろう。


毎日の予定を書いていた手帳を開くと、課題提出の〆切やアルバイトのシフト、新聞会の制作スケジュールなど、大量の踊った文字が目に入りました。メモしたがりなので何でも書くのです。ただ、自分が何を感じ、どう変わってきたのかは全く分かりません。家で過ごす分、今まで顔を合わせる時間が少なかった親と互いのことがわかってきたり、夜中に友人と電話したりしていた記憶だけがうっすらと残っていました。


そこで、書店で(本来卒論の参考文献を買う予定で行ったことはすっかり忘れた振りをして)5年日記を購入してきました。初日、何を書いて良いのか悩んだので日記のルールを1つだけ作りました。「気が乗らない時は書かない」ことです。正直なところ、「日記」と聞くと、小学校の夏休み後半になって日記帳を開き、架空の出来事を作り上げていたことが真っ先に思い浮かびます。出掛けていた日の欄には書くことがあるけど、何もしていない日にはバリエーションを付けねば…友だちと遊んだことにしておくか…と。話は脱線しましたが、あの宿題を大変に感じたのは、日記を書くことが義務だったからではないかと今なら思います。


割り切って日記を始めてみたら、案外初日から今日までずっと続いています。その日の出来事や考えたこと、周囲の人から貰った嬉しい気持ちを思い出して書く時間は好きですし、寝る直前に一日の言動を猛省する「ひとり反省会」の時間が無くなったこともありがたいです。どんな一日でも、朝までは日記の中に置いておいて熟睡。心なしか以前より疲れが取れるように感じます(ただし季節の変わり目で大層眠い)。気がつけば引退まであと半年、大学卒業までもあと9カ月。走り抜けたいと思います。


最近はスーパーエルニーニョ現象のせいか、最高気温が30℃を超える日々が続いている。 期末課題が溜まっている中、今日も部室に足を運ぶ。 今日は2023年7月号が部室に届く。 4月号の反省を活かせたからか、大きな問題もなく終わらせたことは良かったと思う。 しかし、最近は違う問題に悩まされている。 当会の財政問題だ。 このような場で言うことではないかもしれないが、危機的状況にある。 先日は大学側に援助を

編集人としての2年間、常に持ち歩いてきたノートがある。引退する先輩に「考えたことを何でも記録してほしい」という思いから頂いたものだ。最初のページには、就任時の初心を忘れないために周囲から掛けられてうれしかった言葉を書き込んでいる。次のページ以降は自身の役割に対する考え、リモート制作への移行に向けたアイデア、日々の反省などが続く。どのページを見ても、その情報を記した時の状況や心情を鮮明に思い出せる。

対面形式の授業が徐々に増加し、キャンパスや本学周辺にも、友人と過ごす学生の姿が見られるようになりました。3月31日に行われた現2年生の入学式の取材で、「高校生の延長線上から、やっと大学生になれた気がする」という声が上がったことは、いまだに私の心に強く残っています。入学以来制限のある学生生活を送ってきた1、2年生に対し、本学のいち先輩として、今後より充実した時間を過ごせるよう願います。卒業までの期間

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