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花の表現から日本を知る

日本人は日常や人生における人間関係の諸相を「花」にまつわる日本語で表現してきた。他にも長い歴史の中で、四季折々の花は日本文化の発展に貢献している。ここでは、そうした「花」と日本人の関わりについて述べる。


▼文化的な「花」の定義

「花」とは文化的なものであり、私たちが認識して初めて「花」となる。花を咲かせる植物も雑草として認識されれば、雑草になる。こうして「花」は生物学的な観点だけではなく、認識によって文化的に定義されている。


▼花に見られる中国文化と日本文化の融合

中国では、蘭・竹・梅・菊の四つの花はエリートの象徴として四君子と呼ばれている。四君子はそれぞれ異なった意味を持つ。そのうちの一つである「菊」は、断崖に咲く様から、困難な場合でも諦めない君主を表す。また、断崖でなくとも立派に咲く菊の様子を君主の堂々とした姿と重ね、日本では天皇家の紋章として用いられている。


▼和歌にある花を用いた表現

平安時代に編纂された古今和歌集では、花を女性に、鳥を男性に見立てた和歌が多く見られる。当時は男性が女性の屋敷に通い、朝になると帰るという通い婚が主流だった。そのため、男性が去ってしまう様を飛び立つ鳥に例え、女性は花のようにその場で待つことしかできないと嘆く和歌が多い。このように人々は当時の日常や恋愛を花に例えていた。


▼日本人の精神と『散る花』

日本人は、花が咲き誇るひと時だけに焦点を当てず、風に吹かれ舞い散る様にも美しさを見いだす。これは、ひらがなの「はな」が花だけでなく、「離」や「端」も意味するからだ。「はな」は散る美学として日本人に受け入れられ、戦時中には「花々しく散る」という言葉が戦死を表現していた。現代でも「はな」は形を変えて生きている。歌手である森山直太朗さんの『さくら(独唱)』では、桜の散る様子を通して友との別れを惜しんでいる。今生の別れや旅立ちを「花」が散る様子に例えることは日本人の美学として深く根差している。


日本人は古くから恋、別れ、死などを「花」で表現してきた。現代に生きる私たちもふとした日常や人生の節目に「花」を用いてみると、日々の生活がより華やぐのではないだろうか。(永松由衣)


《参考文献》

〈花〉の構造 日本文化の基層(石川九楊、ミネルヴァ現代叢書、2016年)

春が訪れ、長い冬をじっと耐え忍んだ植物が色とりどりの花を咲かせる。花は時代とともに独自の美しさを発展させてきた。本号では、そんな「花」と私たちの日常がどのように関わり合っているかについて特集した。 一般的に花は、贈り物やインテリアとして日常生活に彩りを与えるだけでなく、日本文化において美しさの象徴として表現される。そんな花は私たちが使う日本語と長い歴史の中で深い関係を築いてきた。また、日本の伝統芸

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